大山倍達も師事した伝説のボディビルダー
「おい! 今世界中のどこかで、お前と同じような奴がお前と同じようなトレーニングをやっているかもしれない。それでいいのか!」
発言者を知らずに聞けば、一昔前の暴力体育教師の、根拠なき「気合い」を連想するかもしれない。だが、鬼才にして奇才、若木竹丸(1911~2000)と知れば、その重みが理解できるだろう。
若木竹丸は、日本初のボディビルダーであり、日本におけるストレングストレーニング研究の先駆者である。1938年に第一書院から発刊された、伝説の著書のタイトルは、『怪力法並に肉体改造体力増進法』(以下『怪力法』)。初版500部という少部数ながら、この奇書は昭和期の日本のトレーニング界に多大な影響を及ぼした。『怪力法』に感銘を受け、あるいは噂を耳にし、怪力を欲する格闘家や重量挙げ選手などが、若木に指導を求めた。恐らく若木は、日本で最初のパーソナルトレーナーである。
人呼んで「怪力王」。ベンチプレス用のベンチなど存在しない当時、床の上に寝て挙上を行なうフロアープレスで、若木は270kgを記録した(『ボディ・ビル』ベースボール・マガジン社、1956年8月号、37ページ)。ある時は、機関車の車輪をフロアープレスで上げた。1936年には、第1回全日本腕相撲選手権で優勝した。また、極真空手の創始者、大山倍達の秘技として都市伝説的に語られる指での10円硬貨曲げは、元々は若木の芸当という説があり、実名での目撃談も報告されている(『月刊フルコンタクトKARATE』福昌堂、2005年1月号、42ページ)。なお、大山倍達もまた、若木に師事した格闘家の1人である。
若木の身長は163cm。元から規格外の怪力を持っていたわけではない。若木の怪力探求の旅は、強さへの憧れから始まっている。中学生のある日、2人組の不良に新品の帽子を取り上げられ、泥水の中に投げ捨てられるという事件が起き、若木の中に「力」への渇望が沸き起こる(前掲『フルコンタクトKARATE』、18ページ)。そしてある日、若木少年は、「近代ボディビルの父」ユージン・サンドウの著書に出会う。その肉体美に感銘を受け、遂には目標を画家から「世界一の肉体」へと変更する(『ボディ・ビル』、1957年1月号、45ページ)。なお、『怪力法』には、若木の肉体美を映した写真が掲載されているが、ゴールドジム原宿店のB2階には、それら数枚が解説付きで飾られている。
以来、様々な道具を創作し、独自に方法を研究し、トレーニングに没頭した。1日最低10時間、多い時で15時間という、尋常ならざる量である。夜寝る時は、布団の上の胸の高さにバーベルを置き、尿意で目が覚めれば、そのバーベルを挙げてからトイレに行ったという(前掲『フルコンタクトKARATE』、39ページ)。
冒頭で紹介したのは、若木の元に出入りしていた日本拳法空手道の重鎮、小沼保が、若木から聞いた言葉である(前掲『フルコンタクトKARATE』、34ページ)。怪力の求道者と化した若木だが、時にはトレーニングに嫌気が差すこともあったという。そんな時、若木が自らを奮い立たせるために問いかけた言葉である。
何かの競争が目的であれば、この若木の言葉がより直接的に響くであろうが、そんな他者が存在しなくとも構わない。人は、他人との違い、差に敏感である。例えばダイエットなどは、自分自身との戦いであり競争ではないが、他人に取り残されるという恐怖を自分自身に煽り、それを原動力にしてしまえば良いのだ。
なぜそこで止めるのか? なぜ今日ジムに行かないのか? 自分の妥協に気付く瞬間があるだろう。そんな時は、自分に問いかけよう。「おい! 今世界中のどこかで、お前と同じような奴がお前と同じようなトレーニングをやっているかもしれない。それでもいいのか!」と!
文/木村卓二